アーシュラ・K・ル=グウィン『天のろくろ』

 夢に見たことが現実に置き換わる。そのことに気づいた青年オアは、しかし、何も望まず、ただその能力が無くなることを望んで、精神科医のヘイバー博士のもとを訪ねる。だがヘイバー博士は、オアの能力を利用して世界の「改良」を繰り返し、ついには自らもその能力を手にしようとするが──。

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 『ゲド戦記』で有名なアーシュラ・K・ル=グウィンの、最高傑作の一つとも名高い『天のろくろ』。翻訳SF界において極めて高い傑作率と絶版率を誇るサンリオSFで、例に漏れず長らく絶版中だったこの作品。少し前に復刊ドットコムで復刊されたので、ようやく読む機会に恵まれた。

 この『天のろくろ』、夢を見たら現実になる、というハードSF系の人が読んだら憤死しそうな設定の現実改変もので、もちろん科学的な理由付けは一切ない。この手の話だと最近では『バタフライ・エフェクト』あたりが近いが、あちらは(タイトルの割には)極めて限定された改変だったのに対し、この作品では青年オアのたった一つの夢が、地球規模で歴史を変えてしまう。例えば、人類過密を解消する夢を見ようとしたら疫病で人口が60億人減少したり、肌の色を統一して人種差別を無くそうとしたら全人類の肌が灰色になったり、地球上から戦争を無くそうとしたら宇宙人が攻めてきて宇宙戦争が始まったりと、冗談みたいな規模で過去と現在を塗り替えてゆく。

 物語の軸となるのは、恐ろしく主体性の無い、良く言えば無欲の塊の青年オアと、オアを利用して世界をより良くしようと試みる理想主義者のヘイバー博士。特にヘイバー博士は、権力欲と世直し欲が強くて純然たるマッド・サイエンティスト(ストレンジラヴ博士とか)には一歩及ばないものの、全編を通して暴走気味で鮮烈な存在感を放っている。そんなヘイバー博士に引きずり回されっぱなしのオアが、最後の最後で立ち上がって対決する。と思いきや、あんまりそんなわけでもないあたりが主人公オアの持ち味で、ヘイバー博士との対比が際だっている。

 夢を見る発端が核戦争だったり、数十億単位で人が消えたり劣性遺伝子の排除なんかが始まったりする割に、それほど暗い展開にはならない。変わり続ける世界の中、主人公と変化の記憶を共有するヒロインの登場と、あとすっとぼけた口調ですっかり地球に定着する宇宙人の存在のおかげで、とても清々しい読後感となっている。現実を変えられたけど気づいていない他の人々への迷惑とか、消えた60億人はどうなったのか等はあるけど、まあ世界はオアの見る夢だったということで。(★★★★★)

 この作品が復刊されたのは、おそらくジブリの『ゲド戦記』アニメ化の影響だろうけど、こうした名作が読めるのは素直に嬉しい。この調子で他のサンリオSFも復刊して欲しいものだ。おそらくル=グウィン作品は今後なにかと復刊・発刊されるだろうから、別の作家の、例えば『バケツ一杯の空気』や『キャンプ・コンセントレーション』あたりを。


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